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Posted by チェスト at

もういちど、クルマと暮らそう。

2012年06月02日

◆2012年06月02日
創刊NAVI CARSをマネて書いてみました。


私とクルマのつきあいは1991年4月。20歳になったときです。同級生が18歳で免許を取得して行く中、湯浅家は私が自分自身で責任を負える成人するまで運転免許の取得を許されていませんでした。
いまの私からは想像できないと思われるでしょうが、そのころ私にメカとしてのクルマに対するあこがれに特段の思いはなく、自由に遠くに行ける、雨降りに濡れずに移動ができる交通手段としての位置づけにしかすぎませんでした。
20歳になり無事に普通自動車運転免許を取得。父が趣味の写真撮影に使用していた鈴木自動車製の軽自動車、セルボ(SS40)を借用し、高専への通学利用が始まりました。

セルボの思い出として強く残っていることは、走行中にクラッチワイヤーが外れるというアクシデントと冷却水の上昇です。渋滞中にこれらに見舞われるとパニックになりました。このようなセルボの不調は次期愛車の購入を検討する大きな理由となっていきました。

当時たまたま買って目を通した「普通の」自動車情報誌にスズキから660ccエンジンを搭載するオープンカーが発売される記事を見つけたことが、その後に愛車となるスズキカプチーノとの出会いです。

前述のようにクルマでスポーツ走行を楽しもうとか、チューンナップして速くしようなんて思いはこのころは毛頭なく、デザイン性に優れたカプチーノでのんびりカーライフを楽しもうという思いから、カプチーノへの購入欲が日に日に高まり、いよいよ注文が開始されました。
恥をしのんで書きますが、愛車カプチーノは母からのプレゼントです。けっして高収入の家庭ではありませんでしたので、母には感謝しています。

カプチーノが私の愛車になると、薩摩半島南部にある私鉄の廃線を撮影して回る日曜日が続きました。ほかにもこれまで行くことができなかった遠くに走る機会も多くなり、私の行動範囲は一気に広がりました。同じくカプチーノに乗る多くの仲間との出会いもこのころです。カプチーノがスポーツカーであると教えてくれた先輩方のおかげで、よりカプチーノを楽しむパーツや方法を学ぶことができました。いまでも感謝しています。またクルマでコーナリングを楽しむためにバイクの運転を始め、荷重移動を身体で覚えたほうがいいとアドバイスをくださったのも先輩方です。このことがのちに自動二輪運転免許を取得する強いきっかけとなりました。

カプチーノでは遠くに行ったりした以外にも、一時期モータースポーツ的な遊びも楽しみました。大分阿蘇レーシングパーク(現オートポリス)、HSR九州でのサーキット走行とジムカーナ競技に参加したりして、カプチーノのコーナリング限界や最高速度を知ることができました。

このころからエンジンのメンテナンスにも挑戦するようになり、1998年の夏、整備士資格を持つ友人とともに、我が家のガレージでエンジンを下ろしてオーバーホールをしました。その後、2回のエンジンのオーバーホールと2回のタービン交換を実施しました。

カプチーノが私の愛車となり20年が過ぎました。目下の関心はいまのエンジン性能をいかに維持し続けるかです。私のカプチーノは製造段階で精度の高いエンジンを搭載していることやエンジン性能を引き出すアドバイスを多くの仲間から得た結果、現行のエコカーに勝る低燃費を続けています。一般道路の走行で18km/L、高速道路では24km/Lを確実にマークするエンジンは他のカプチーノに類を見ないでしょう。



純正部品の注文のためにスズキディーラーを訪問するたびに整備工場長から「いつまでカプチーノに乗り続けるつもりなのか」と問われます。そのたびに私が繰り返す言葉は「朽ちて土に帰るまで」。

ボディが朽ちて崩れ落ちない限りは修理を繰り返し、いつまでも乗り続けて行きたいクルマが、愛車のスズキカプチーノなのです。  


Posted by シンタロウ at 15:21Comments(0)クルマ